リトモの先生

上間 咲子

プチたね・なのはな・ひまわり・かるみあ・小学生クラス担当
-沖縄県那覇市出身


<音楽との出会い~そしてリトモとの出会い>
幼稚園の先生と、小学校の音楽の先生が大好きだった私。 この恩師の影響を受け小学校~高校まで吹奏楽三昧で過ごしていました。高校生の頃に現在のリトモのマスコット “uhyoi”を作り出し「いつか世に出すぞ」と夢を描いていた頃、進路室で目に留まった“リトミック”と 出会ってからから現在に至るまで、リトミック教育の素晴らしさに魅了され・そしてご縁あった幼児教育の 七田チャイルドアカデミーでの素晴らしい仲間たちとの出会いによって、すっかり“これからの教育とは”を 毎日考える日々に明け暮れ「リトモ」をopenするに至りました。

<リトモでの担当・私が伝えていきたいこと>

リトモの代表。今もこれからも現役講師でレッスンを誰よりも愛し、楽しむ講師でありたいと思っています。 80歳まで現役で軽やかなステップができることを目標としています。

又吉 和歌子

たね・ふたば・つぼみ・なのはなフロア・ひまわり・かるみあピアノ担当
-沖縄県宮古島出身


<音楽との出会い~そしてリトモとの出会い>
小さな手にマイクを持ち、歌い・踊る日々を過ごした幼き日。色々な音色・リズムが一台から流れ演奏で きる<エレクトーン>と出会い一目惚れ。大好きな<エレクトーン>だけは、小・中・高と続け、本土の 音楽短大へと進む。 沖縄へ戻り、エレクトーン・ピアノ講師として、レッスンを受け持つ。結婚・長男 出産後、子育て専業主婦に専念!?小さな子を抱え、なかなか仕事・外へ出られない中、ふと目にした 求人誌に「リトモ講師募集」 。 音楽の仕事がしたい!思いで、問い合わせるも 不採用…。その後、次男出産。 まだまだ家にこもっていた私に一本の電話・・・。「リトモで働きませんか?」咲子先生・天からの電話。いつかまた 機会とタイミングが合えばと、2年間大切に履歴書を保管してくれていました・・・。それから「リトモ以外」では働けない 「和歌子」となっております。

<リトモでの担当・私が伝えていきたいこと>

一番若い!美しい裏声担当。(お一人お一人に配布しているCDの名前を呼びかけ担当です) 親と子。家族みんなが笑顔になれる。心とココロがもっと大きな和になる「氣」を送り続けたいと思います。”

山内 真貴子

たね・ふたば・つぼみ・なのはなフロア・ピアノ担当
-沖縄県沖縄市出身


<音楽との出会い~そしてリトモとの出会い>
赤ちゃんの頃から音楽好きで童謡のレコード(古っ!)を聞かせるとニコニコ聴いていたそうな。 音楽好きが高じてピアノや金管バンド、マーチング、吹奏楽、を少しずつ経験し 沖縄の伝統楽器三線まで色々な音との出会いがありました。 その後、リトモの魂が揺さぶられるレッスンに大きな衝撃を受けたのです。

<リトモでの担当・私が伝えていきたいこと>

リトモでは、0歳~3歳までのフロアーとピアノを担当させていただきます。 時にはピアノ側から、時にはフロアー側から、子ども達の感性、個性を尊重した成長を見守り伸ばせて行けたらと思うのです。

この先、どんな荒波にあってもリズムに乗って笑顔で乗り越えられるように そして、将来一人ひとり世界にひとつだけの花を咲かせられるように 子ども達の生きていく根っこが大地に力強く生えるようなレッスンにして行きたいです。

島袋 やす代

事務スタッフ・土曜日小学生クラスアシスタント
-沖縄県那覇市出身


<音楽との出会い~そしてリトモとの出会い>
小学校低学年から中学生まで個人ピアノ教室に通うなど音楽と生活が身近にあった。 妊娠中に通勤途中にある七田チャイルドアカデミーの看板に目をひかれ、そこで音楽講師・咲子先生に出会い咲子先生を追いかけてリトモに通う。 親子でレッスンを満喫しました。 子どもたち4人が幼児クラス卒業を機に、毎週通い慣れたリトモと離れたがたく土曜日スタッフとして現在に至る。 またこどもたち4人と現在も「リトモ・ダルクローズリトミック特別クラス」に通い続け、それぞれの「のびしろ」を広げつつある。

<リトモでの担当・私が伝えていきたいこと>

レッスンの合間の子どもたちとの関わりやお母様方、お父様方とのコミュニケーション担当。 大切な幼児期を親子で楽しんでほしい。それが未来につながることだと思っています。