前にも書いたかもしれないし
よく話しているかもしれませんが。
アロマの勉強があったので
また書いておきます。
・
・
・
幼少期。
母は病院も連れて行かない
どちらから言うと
「病は気から。大丈夫よぉ~なんくるないさぁ~」
的に育てられてきました。
ので
〇お腹がいたいと島酒。
〇皮膚がいたいとアロエ。
〇喉がいたいと大根とはちみつ。
それだけで
育てられてきました。
・
中学時代。
超過酷な部活生活。
これまで平和に過ごしてきた小学校とは違う過酷な中学生活で
精神的にもかなり追い詰められていたかな。
胃に穴があいて、極度の貧血。
初めて病院通いというのが始まり
薬なしでは生きていけないほど。
でもその時初めて
「病院の薬で痛みがピタッととまる。病院の先生は神様だ」
と、
心底思って
何の疑いもなく毎日毎日いわれるがままに
大量の薬を飲んでは
なくなったら病院へ通う。
そんな
生活を送っていました。
・
東京生活。
中学高校と薬漬けで過ごしてきた学生時代。
高校卒業して東京へ進学。
生活環境が変わり
きっとワクワク度が増したおかげか
一切薬を使わなくても大丈夫な毎日になりました。
初めて
親元を離れ
自由!!!
になった私は
食生活もお酒生活も
そりゃ~そりゃ~
昭和の二十代の楽しみ方を
めいいっぱい満喫して過ごしておりました。
そして
・
・
・
二十代後半に差しかかるころ
●便秘
●頭痛
●腰痛
身体が一気に壊れ始めました(-“-)
・
・
・
そして
「いつの日か赤ちゃんを産んで母になるために身体を綺麗にする」
と、
決めてから
(もちろん結婚もなーーーーーーーんにも決まっていません)
〇食生活の見直し
〇体質改善
〇自然療法
を、
調べ・・・出会い・・・取り入れ・・・
あれ?
いつ子育てできるんだ?
と、
だいぶ時も流れていましたが(^^ゞ
縁あって無事に結婚し子どもを授かることができ
自分自身のカラダも
できる限りの真っ新で
とても元気な妊婦生活を送り
我が子が生まれてきました。
・
・
・
出産後も
生まれてすぐのベビーマッサージで
「母の手は子を守る手」
そういう想いで
たくさん触れて
たくさん感じて
たくさん治して
育ててきました。
・
・
・
病院や薬とも
もちろん必要な時にはお世話になりますが
その時も
必ずカラダに確認します(笑)
「今必要なものはなあに?」
・
・
・
そうやって
家族を育ててきたので
主人は
薬箱がないと安心できない、鼻炎で毎朝の鼻のグズグズは大変でしたが
全く薬を使わず
家族だけでなく社員にも
「喉が痛くなったらオンガードを飲め!」
と、指導するほど(笑)オンガード一つで生きる力を得ました(笑)
娘は
一度「薬飲んでみた~い」と、
病院を好むこともありましたが、
今では自分の管理をアロマで整えています。
最近はこの時期ならではのニキビに悩んでいて
一度病院にお世話になってみると、薬も試していますが
その後は毒だしをするのみかな。と思っています。
息子は・・・
まだまだ成長段階。一人では管理できず
今でも
母の手を必要とします。
「マッサージしてほしい」と、
野球で疲れた身体、精神的に病んだ心のケアを求めますので
アロマを活用しながら対応しています。
・
・
・
「何に安心を求めるか」
この間、千恵子さんがアロマの勉強会でも話していましたが
きっと
答えはそれなんだと思います。
身体を健康に元気にする過ごし方は
きっと
ご家庭それぞれです。
〇食生活
〇自然療法
〇生活のリズム
何をどう取り入れるかは
きっとそれぞれです。
・
・
・
さっこ先生はきっと
家族を作る前から
こどもを作る前から
『こどもを産む準備』
を、していたんだはず(^^ゞ
笑えるほど早い時期から(笑)
・
そして
そこには
自分自身のカラダの不調・・・最悪な状態まで経験したからこそ
リセットするきっかけがあったんだろうなぁ。と。
そして
幼少期、母が育ててくれた
”自然療法”
が生きているんだと思います。
きっと
あれこれ勉強していたわけではなく
ただ
そこにはそれしかなかったから?
母は人づきあいが苦手だったから
きっと病院には怖くて行けなかったから?
なんて、
思ったりしますが(笑)
・
・
・
まぁ。
そんなこんなで
ありきたりですが
何よりも
家族が元気でいられることが
一番の幸せですね。
まだもう少し
子育ての折り返し地点なので
これから変化していく
娘と息子のカラダ成長も見守りつつ
どんどん
老いていく
自分自身の身体を
どう
より元気に過ごしていけるかの
追求を
これからも楽しみたいと思います。
・
・
・
リトモって
音楽教室なんですが(^^ゞ
生活のリズム
食のリズム
家族のリズム
元気のリズム
そういうことも
もっともっとつなげていきたいと思っています。